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退屈だった。見たくない顔を見ないためにずっと自室にこもっていたけれど、もうそれも限界だった。自室の扉を開くと、まさにその見たくない顔が、ノックのために手をあげていた。
「どこか行くの?」
「……散歩」
思わずしかめた顔を隠すことはせず、横をすり抜ける。散歩は出まかせで、行き先なんて本当はどこでも良かったけれど、とにかく、彼と同じ場所には居たくなかった。
「じゃあ僕も行っていい? 退屈で死にそうなんだ」
質問の形をとっておきながら、私の答えを待たず勝手についてくる。「死にそう」ですって? 馬鹿らしい。
静まり返った屋敷の廊下に、彼と私の靴音だけが響く。私を追いこして、彼は玄関の扉を開けた。どうぞ、というように振り返る彼の、碧い目。外から差す日が透かす金茶の髪。どちらも私と同じ色合いだ。それが余計に、私を苛立たせた。
レンは、私の実の姉の曾孫にあたるらしい。血縁といってもかなり遠い繋がりなのに、私とレンはよく似ている。似すぎていて気持ち悪いくらいに。もし街を歩いたら、双子に間違われるだろう。そんなところも、運命だ何だと一族の皆を喜ばせていた。
玄関で立ち止まったまま一向に動かない私を見て、レンは首を傾げた。
「行かないの?」
「あんたが行くなら、私は行かない」
「……キミはさ、どうして僕を避けるの?」
「……」
黙って背を向け、足を速める。数歩進んだところで、ふいに手首に何かが触れた。それがレンの手だと理解する前に、私は激しくふり払っていた。
しまった、やりすぎだ。一瞬そう思ったけれど、私の前へと回り込んできたレンを見て、すぐに撤回する。レンはちっともこたえない様子で、宥めるような笑みを浮かべていた。
「そんなに僕のことが嫌い? 僕はキミと、仲良くしたいんだけど」
屈託のない笑みと言葉が、神経を逆撫でする。私は自分の手首を強く握りこんだ。先程そこに触れたレンの手は、私のそれ と同じで全く温度がなかった。手だけじゃない。腕も顔も首も足も、心臓だって、私たちは冷たい。バンパイアとして常しえの生を手に入れたときから、温もりを失ってしまったのだ。私も、そして彼も。
永遠にひとしい年月を持て余す者達は、目新しいことが大好きだ。レンが来てからここ数カ月、彼の言動の何もかもが、皆の関心の的だった。
新しい仲間が「十四歳」だとはじめに伝わった時、一族の仲間達は口々に「良かったね」と言ってきた。「十四歳」という時点で、レンが私のパートナーになることは決定したようなものだった。いままで仲間内に私ほど「若い」者はいなかったし、比較的「年齢」の近いミク姉は、いつも人間に夢中だったから。「良かったね」? 冗談じゃない。相手の彼にとっては、良い悪い以前の問題のはずだ。人間として死んでしまった彼に、何かを喜ぶ余裕があるとは思えない。私はまだ見ぬ彼に、同情を感じたものだった。
それなのに、メイコさんとカイトさんに連れられてやってきたレンは、明るい顔をしていた。レンを出迎える皆の後ろで、私は眉をひそめた。無理をしているのではないかと思ったのだ。けれどレンは、たったの数日で一族に打ち解けてしまった。生来、社交的な性格だったのかもしれない。将来のパートナーだという周りの言葉を鵜呑みにしたのか、私にもしきりに話しかけてきた。いくら冷たくあしらおうと、積極的に私と関わりを持とうとするレンの態度を、一族の長であるメイコさんは手放しで喜んだ。一族の中でも扱いづらい私に構う者ができたことが、よほど嬉しかったらしい。数ヵ月たってもレンに対してろくに返事もしない私に、メイコさんがしびれをきらしたのか、それともカイトさんの策略か。遠出の狩りの留守番という名目で、私は今レンと二人、この広い屋敷に取り残されていた。口うるさい仲間達の声を数日間きかなくてすむのは嬉しいけど、帰ってきたらしつこく話をききたがるに決まってる。もううんざりだ。
彼らの思惑通りになるのは癪だ。さっさと部屋に戻って一人になりたかった。けれどもレンは、私の進路を塞ぐように廊下に立っていた。同じ高さにある目を睨みつける。レンは、私とそれほど身長が変わらない。もう身長が伸びないことだけが心残りだと、たしか前にそんなことを言っていた。
「ねえ、そんな怖い顔しないでよ。散歩が嫌なら、チェスでもしようか?」
「チェスは飽きたわ」
「カードは? この前グミさんに、面白い手品を教わったんだ。見せてあげるよ」
「……あんた、ここの暮らしが、ずいぶん楽しそうね」
「楽しいよ。今は退屈だけどね。キミが相手してくれないから」
一片のかげりもない綺麗な顔で、レンが笑う。
「……どうして」
どうしてそんなふうに笑えるの。口の中で呟いた言葉を、本当はずっと吐き出してしまいたかった。
私が一族に馴染めないのは、仲間として最も日が浅いからだと、いままではそう思っていた。けれど、それは間違いだったらしい。人間であることを捨てて何十年も経つ私よりも、たった数ヵ月のレンの方が、よほど一族らしくバンパイアとしての暮らしを謳歌していた。今回のパートナーの一件で、誰もがレンの味方をするのは当然なのかもしれない。私がこれだけパートナーになるのを嫌がっているのに、それでもレンの方を皆が後押しするものだから、 私はひどい疎外感を味わうはめになっている。
「どうして、何?」
「……なんでもない」
「何だよ、気になるじゃん」
自分の部屋に戻ることは諦めて、大広間の扉へ近づく。当然のようにレンはついてきた。無視して扉を開こうとすると、先にレンの手が伸びて、重い扉を押し開ける。その指先から、私は目が離せなくなった。さきほど私に触れたその手の爪先に、くすんだ黄色のマニキュアが塗られていることに、そのとき初めて気がついた。扉をくぐらず立ちすくむ私に、レンが小さくため息をもらす。
「何? 僕が開けた扉じゃあ、やっぱり駄目なの?」
「……それ」
「え? ……ああ、これ」
「私のを、勝手に使ったわけ」
その色は、私が手に施しているマニキュアと同じものだ。不快感に歪んだ私の顔を見て、レンは慌てて言い繕った。
「まさか! ミクさんが、同じのを買ってきてくれたんだよ」
基本的に屋敷から出ない私と違って、ミク姉はよく人間と「デート」に行く。だから、マニキュアはいつもミク姉に頼んでいた。
「僕がキミと同じのをしたいって言ったら、デートもないのに街に行ってくれたんだ。ここの人たちって、良い人ばかりだよね」
自分の手を見下ろして、レンはまた、にっこりと笑った。
「……ここに来て、ほんとに良かった」
その幸せそうな顔に、自分の中で堰きとめていた何かが、崩れてしまった。
「ばっかじゃないの!」
私が人間だったら、興奮で耳や顔が熱くなっているかもしれない。意識の裏でそんな事を考えながら、私は怒鳴り散らした。
「あんたは、自分が、どんな醜い化け物になったか知らないから、そんなことが言えるのよ!」
「醜くないよ。メイコさんもカイトさんもミクさんもグミさんも、みんな綺麗だ。もちろん、キミもね」
「っ、あんたは勘違いしてる! メイコさんに、私達に、騙されているのよ! どうしてそれに気がつかないの?」
「騙されてなんか、」
「そうじゃなきゃ、自分からバンパイアになるなんて、そんな馬鹿なこと……!」
人間は殺さずに狩る。それが、メイコさんの決めた一族の方針だった。殺すとしたら、私みたいに事故に遭って死にかけているような人間を、仲間にする時だけだ。
だけど、レンの場合は違った。レンにはまだ、人間としての生が残っていたのに、メイコさんが騙してバンパイアにしてしまった。私にパートナーを作る、ただそれだけのために。
私がそれを知ったのは、レンが来てから数日後のことだった。レンの明るい様子に納得することができなくて、カイトさんを問い詰めたら、簡単に教えてくれた。狩りの帰りに病院の横を通ったとき、私と瓜二つの容姿を持つ車椅子の少年に出会ったこと。彼が偶然にも生前の私の姉の曾孫であり、私と「同じ」十四歳であったこと。彼が病気であるということを利用して、常しえの生を与えることを条件に同意させ、仲間にしてしまったこと。
メイコさんが、私に昔の自分を重ねているのは知っていた。カイトさんに愛される今のメイコさんは確かに幸せそうだし、カイトさんだってメイコさんを支えることに喜びを感じているように見える。だから、私にも同じようにして幸せになってほしいんだろう。メイコさん曰く「不安定」な私には、パートナーが必要だというわけだ。だからって、こんなの、ひどすぎる。まだ生のあった人間を、化け物にしてしまうなんて。
「騙されてなんかないよ。僕はちゃんと同意して、仲間にしてもらったんだ。もともと病気があって、そう長く生きられなかったしね」
「だからって。あと数年は生きられたはずだわ」
「どうせ死ぬなら、同じことだろ?」
「家族も恋人も、いたでしょうに」
「少なくとも、恋人はいなかったかな。気にしてるの? 大丈夫だよ、僕のパートナーは、」
「兄弟は? それとも……姉妹、とか」
余計な言葉を遮るために放った言葉が、自分の胸を刺した。兄や弟や妹……姉だって、いたかもしれない。きっと悲しんだはずだし、レンだって別れが辛かったんじゃないだろうか。
「いたけど、殆んど話したことなかったなぁ。僕はずっと、病院にいたし」
「……そう」
あっさりとしたレンの言葉に、勢いを削がれた。誰もが私と同じように、温かい家庭や優しい姉に恵まれていたとは限らない。仲間達の中には、「死んだ」ことを喜ぶ者が何人もいたし、生前のことについて思い出すのを嫌がる人も多かった。だからこれ以上、レンに何か訊ねるのはためらわれた。
優しかった姉の笑顔を思い出す。バンパイアになってから偶然見てしまった、私を探す悲痛な顔も。レンの家族というのはつまり、私の姉の子供や孫たちであるはずだ。けれど、たぶんレンは、私の姉を知らないだろう。レンにとっては曾祖母で、彼の生まれた年から逆算すると、姉がよほどの長生きをしていない限りは接点がないだろうから。
本当は姉が死ぬ前に、一度でも会いに行こうかと思っていた。でも、こんな化け物の姿で姉に会うのは怖かった。美しく成長して、私も知っていたあの婚約者ときっと結婚して、幸せな家庭を築いたであろう姉は、二度と成長せず、永遠に時を止めたこの身体を、どう思うのか。迷い続けていたら、姉が生きていたはずの年月を、とっくに通り越してしまった。後悔しても遅い。いまさら会いに行ったって、お墓と対面するだけだ。
「ねえ、リン」
静かな声に、どきりとする。たぶん、私は初めてレンに名前を呼ばれた。
「僕は、リンに会えて嬉しいよ。たとえ騙されていたとしたって、嬉しい。それじゃ駄目かな?」
急に名前を呼ばれて、戸惑っていたのかもしれない。私は激することなく、その言葉を聞くことができた。今までにだって、レンは何度も私に優しい言葉をかけてくれていた。いくらなんでも、嫌いな者にここまで優しくできないと、本当は分かっていた。
「……私のせいで、化け物になったのに」
「それでもいいよ。リンに会えたから」
レンはそう言って、笑いながら私の頬に触れた。その手はやっぱり冷たかったけれど、私を見つめる碧い瞳は、姉の優しく温かな瞳と、同じ色をしていた。頬に触れるレンの手に、恐る恐る自分の手を添える。何故か涙が滲みそうになって、私は慌てて俯いた。それでも、レンの手を振り払うことはしなかった。
頬に置かれるレンの冷たい手と、それを緩く握る自分の冷たい手。レンが私のせいで化け物の仲間になったのなら、レンがそれでも私に会えて良かったと繰り返すのなら。私はレンに、きちんと伝えるべきだ。ごめんなさいと、そして、ありがとうを。
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次はレン君のターン。 続き→ストップモーション(後)
ファイル名からすると、某バンパイア映画の舞台挨拶を観に行ったあとに、触発されて書いたものかと(ファイル名がまんま映画のタイトル)。確か、脇役の、ヒロインに冷たくする仲間のバンパイアに色々妄想が爆発したのだった気がする……。
ところで生の女優さんって、どうしてあんなに細いんでしょうね!当たり前ですけど。