-----------------------------------
別れよう、と言ったのは私だった。レンは静かに笑って、そうだな、と頷いた。その穏やかな笑顔を、今でも時々思い出す。
「そういえばアレどうなった?」
「アレ?」
「初音ミクちゃんと、先輩さん」
「ああ…来れるらしいよ」
俺の返事に、ミクオがにやぁと気持ち悪い笑みを浮かべた。学校へ続く坂道は、あと半分だ。いくら体力の有り余ってる俺たちでも、毎朝これはきつい。山登りなんじゃないかと思うくらいの上り坂は、俺たちの学校、通称A高の名物だった。
「そっちは人集まったわけ?」
「うん、神威先輩はもとから来るって言ってたし。あと一人は、カイトさんになった」
「え、あの人?」
「顔いいじゃん」
確かにそうだが、あの人は絶賛片想い中じゃなかったか。まぁ、だからこそ恋人はいないんだろうけど。
「リンちゃん、だっけ。お前の元カノ」
「…うん、まあ」
「仲良いよねぇ。どんだけ円満に別れたんだよ」
「合コンセッティングしろっつったのはお前だろ?」
元カノと合コンを主催するという妙な状況に立たされているのは、確実にミクオが原因だった。リンが初音ミクと仲が良いことを話したら、紹介しろと押し切られたのだ。ミクオによると、リンの通うC女で、初音ミクは有名人なのだそうだ。雑誌の読モをやってるとか、そんなことで有名人になるんだから、この街も田舎だなと思う。
「いやーあの初音サンへのつてがあるんならさ、ここはお近づきになりたいじゃない」
「メンバーに先輩を選ぶなよ。俺合コン自体はじめてなんですけど」
ミクオが男メンバーは任せろというからまるっきり任せていたら、先輩になりそうだと言ってきた。初めての合コンかつ初めての主催で、出席者が先輩というのは、かなり荷が重い。リンの方も、部活の先輩を連れて行くと言い出したから、結果的にはちょうど良かったけど。
「まあまあ、僕もフォローするし。それに、イケメンの方が向こうも喜ぶでしょ?」
「…そうかもな」
合コンの話をリンに持ちかけた時、リンはかなり乗り気だった。俺の知る限り、リンだって合コンは初めてのはずだが、すぐに女子メンバーを集めたようだ。美人ばっかだから期待しといて、と言われて返答に困った。こっちもイケメン揃いだから、と胸を張りたかったが、男子メンバーは俺が集めてるわけじゃない。ミクオが女ウケしそうな顔を集めてくれたことに、内心ではほっとしていた。部活のOBの神威先輩はワイルドな感じだし、高3で暇人のカイトさんは顔だけなら爽やか美青年だ。ミクオのチャラ顔と合わせたら、バランスはいいかもしれない。
「ねぇ、一応確認なんだけどさ、リンちゃんも狙っちゃって大丈夫なんだよね?」
「狙うって…」
「まだ実は付き合ってるとか」
「それはない。……ただの友達だよ」
友達というよりは、仲の良い従姉妹か。今のこの関係を呼ぶには、それが一番しっくりくる気がする。リンとは、それこそ赤ん坊の頃からの付き合いだった。家が近所だから、中学まで登下校は一緒だったし、高校に入ってからは、朝は部活がない限り途中まで一緒に行っている。誰かに話したことはないが、“別れて”からもその習慣は続いていた。まわりの目を考慮して、「家からリンの降りる隣の駅まで」が、「家から乗車駅まで」には変化したけれど。
今朝も、リンは俺の家の前で待っていた。駅まで一緒に歩いて、電車を一緒に待って、電車が来たら別々の車両に乗る。俺は後ろの方、リンは一番前の女性専用車両だ。はじめのうちは、ホームで手を振って別れるのは妙な気がしていたが、最近ではすっかり慣れてしまった。リンは、俺より一つ前の駅で降りる。階段がホームの中央あたりにあるから、走っていく電車の窓からリンが見える。通り過ぎる一瞬にリンの姿を探し出して動体視力を鍛えるのが、最近の日課になっていた。
「それでさ、ちょっと面白いイベント考えたんだけど」
メンバー集めだけでなく、ミクオは本当に合コンを盛り上げてくれるつもりらしかった。一応、俺とリンが主催ということにはなっているけど、俺がしたのはリンに声をかけたことだけという気がする。ミクオがやれと言ったんだから当然だとも思うが、合コン未経験の純情男子としてはかなりありがたい。
けれど、ミクオの言う“面白いイベント”の内容を聞いて、俺は感謝を取り消した。
「お前それ……男に都合良いだけだろ……」
「わかってないなぁ。女の子も案外こういうの楽しいんだって」
「無理。少なくともリンには無理。あいつ、料理ヘタクソだもん」
まだ付き合い始めだった去年のバレンタインも、市販のチョコを渡された。念のため断っておくが、もちろんポッキーやチロルチョコではない。ちょっと高そうな感じのパッケージだったし、愛は詰まってた。たぶん。
「リンちゃんって一人っ子?」
「姉ちゃんが一人いるけど…」
「じゃ、大丈夫だ」
「何が」
「妹がお姉さんに泣きついたら何とかしてくれるもんでしょ」
「何を根拠に…」
確かに、メイコさんは料理上手だし、頼りがいがありそうだ。でも、だったら俺の時にも手作りをくれたっていいんじゃないか。
「レンだって、バレンタインにチョコの一つや二つ、欲しいんじゃない?」
「…まあ、そりゃ」
女の子に手作りチョコを一つずつ作ってきてもらって、男性陣はゲームか何かでそれをゲットする。ミクオの提案は、つまりそういうことだった。合コン開催が、奇しくもバレンタイン前日なのだ。もしこれが実現したら、14日当日、諦念漂うA高の男達を見下ろして、俺たちは優越感に浸れるわけだ。家族以外から貰ったというアドバンテージ。しかも手作り。そのうえ、大量に配られる義理チョコというわけではないのだ。いや、義理かもしれないが、合コンの相手にあげるという以上、ある程度は情熱が注がれたチョコになっているはずだ。
「リンちゃん説得するとき、僕のせいにしてくれていいからさ」
正直、家族以外からのチョコに、あてがないわけではなかった。リンはたぶん、今年もチョコをくれる。去年のに比べたら値段は安くなるんだろうけど、付き合う前に毎年くれていたチョコだって普通に美味かったから、それなりに期待していたりする。――まぁ、リンはもう“従姉妹”なんだから、家族からのチョコにカウントされるのかもしれないが。
「…ったく、仕方ないな…」
「さっすがレンきゅん。話がわかって助かるわー」
「きゅん言うな。一応リンに言ってみるけど、説得できるかわからないからな」
リンの手作りチョコがどんなものなのか、少し気になる。中学の調理実習でリンが作った黒焦げマドレーヌを食って以来、リンは料理が苦手なんだと思っていた。けれどそういえば、今は学校も別だし、最近のことは知らない。ひょっとしたら、ちょっとは上達しているのかもしれない。
どっちにしろ、リンが初めて作るバレンタインチョコになることは間違いなかった。
「『ミクさんのチョコがどうしても食べたいっていう馬鹿な奴がいて』とかそんな感じで、強気でお願いね」
レンっていつも押しが足りないから心配なんだよね、ミクオはそう言ってわざとらしくため息をついた。余計なお世話だ。それにしても、そんなに初音ミクがいいのか。美人だというならぜひ顔を拝みたいが、ここまで煽られると少し緊張してくる。
「もう、初音さんはお前に任せるよ」
「任せて任せて。とりあえずミクちゃんの隣の席は僕ね」
じつに楽しそうで何よりだ。呆れていると、ふいにミクオがこちらを向いた。嫌な方の笑顔だ。
「でも、リンちゃんもわりと好みだよ」
「は?知らないだろ」
「夏頃に待ち受けにしてた子、リンちゃんでしょ」
「見たのかよ……」
リンの写真をケータイの待ち受けにしたのはほんの短期間だったはずなのに、まったく油断も隙もない。ミクオが言っているのはおそらく、この夏に撮ったリンの写真だ。紺地の浴衣が包む小さな肩と、髪をまとめて剥き出しになった細い首、それから、ぎこちない笑顔。あれが好みなら、たぶんミクオの期待には添えない。――だってあんな写真、全然リンらしくないのだ。
なんとなく息苦しくなって頭をふった。いつの間にか、山登りの終着点である校門が近づいている。毎朝の運動なのに、何故だか今日はひどく疲れていた。
--------------------------------------
つづく(多分)
マドレーヌって、英語では何て言うのでしょう。和製外国語ばりばり。