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(あ……そっか)
電車の窓ガラスに映る自分の顔が、まぬけに口を開けた。思わずあげた顔をもどして、ケータイに向きなおる。カイ兄宛ての新規メールは削除。かわりに、受信ボックスからレンの名前を探した。
今日は、カイ兄もメイ姉も泊まりだと言っていた。いつもなら暗くなると、二人のどちらかが車で迎えに来てくれるけど、今日はそれが期待できない。別に私は歩きで構わないんだけど、カイ兄が、レンに駅まで迎えに来てもらいなさい、と出がけに言いつけたのだ。私がちょっと渋ったら、そうしてくれると僕が安心できるんだよ、って。過保護だとは思う。でも、仕方ないとも思う。少し前に近所で事件があった。中年のご夫婦が夜のお散歩をしていたら、若者の集団に捕まって、奥さんが襲われたらしいのだ。物騒なニュースは遠い所の話と思っていたけど、このあたりも治安が良いとは言えなくなってしまった。二人で歩いてても危ないのに、若い女性のひとり歩きはもっと危ない、ってことだろう。でも、うーん、二人でも危ないんだから、レンがいたってあんまり意味ない気はする(むしろ、そっち方面の人には逆効果じゃないかな)。万が一の被害は少ない方が良い……なんて口ごたえしたら怒られるだろうから、言わなかったけど。
駅前のコンビニで、レンはすでに待っていた。はやい。家から駅までの時間を考えると、私がメールしてすぐに家を出たんじゃないだろうか。車がないことを忘れていたから、時間ぎりぎりの連絡になってしまったのだ。だから、ゆっくりでいいとは言っておいたんだけど。
「お待たせ」
「ん」
なんか買ってく?と聞くと、レンは無表情のままおでんを指差した。もー、これから夕飯でしょ。寒いから、あったかい飲み物をイメージして聞いたのに。
「こんにゃく食お」
レジ横のおでんの中でこんにゃくと呼べるのは、普通の三角形のこんにゃくと、串に三つ刺さった玉こんにゃくの二種類。レンが言ってるのはたぶん、玉こんにゃくのことだと思う。これ一つなら夕飯に響かない気はする。二串買って、片方をレンに差し出す。今年お初のコンビニおでんだ。
「お迎えのお礼に、奢ってあげる」
「え、まじ?じゃ、ありがたく」
駅から家の往復時間を時給に換算したとしたらかなり安い賃金だけど、家族割引ってことで許してもらおう。
外に出ると、冷たい空気が頬を刺した。一口目は暖かかった玉こんにゃくも、表面はすぐに冷めてしまう。やっぱりホット缶にすれば良かった。
「ミク姉たちはもう帰ってるんだよね?」
「うん。俺より帰るの早かったらしい」
「あ、こっち。こっち通ろ」
半歩先を歩くレンのコートを掴んで、大通りから脇道へ入る。たたらを踏んでぶつかった腰に、固い感触があった。財布でも持ってきたのだろうか。レンは私の手を外して、さっと車道側にまわった。住宅街の続く一車線の狭い道だけど、たまに通る車は結構スピードを出している。
「お前、いつもこんな道通るわけ?」
少し低くなったレンの声に、慌てて首をふった。この道も街灯はそれなりに立っているが、大通りに比べたら圧倒的に暗い。例の事件があったのは駅の反対側のもっと寂しいところだし、今の時間ならそれほど怖い道ではないけれど、それでも一人なら通ったりはしない道だった。何だかんだいって、私もレンがいるから安心しているのだ。
「でも、そろそろ時期かなって」
「はい?」
「ほら、電飾つけてる家が多いでしょ、このへん」
毎年、クリスマスが近づくと、ベランダや玄関に電飾をつける家がある。このあたりは特に張り切った家が多くて、中にはかなり本格的なライトアップもあった。私の去年のお気に入りは石川家、だったかな。水が流れ落ちるような電飾が、屋根のてっぺんから一階の壁までを伝っていて、このあたりの家の中でもひときわ派手だった。ところどころに配置した天使や星やトナカイが賑やかで、家全体がクリスマスツリーになったみたいな……確か、ベランダをよじ登るサンタもいた。
だけど残念なことに、ちょっとまだ早かったようだ。立ち並ぶ門扉を照らすのは弱い街灯の光だけで、石川家も他の家と見分けがつかず通り過ぎてしまった。
「真っ暗だけど」
「うーん、12月に入ってからかなぁ」
「……カイ兄に、こっち通ってもらえばいいじゃん」
それだと、車だから一瞬で通り過ぎてしまう。時期になったら一度我儘を言って、歩きで迎えに来てもらおうか。でも、帰り道のついでに寄るから贅沢な気分になれるのであって、わざわざ迎えに来てもらうのは違う気もする。
一つ角を曲がると、急な下り坂だ。住宅街と狭い道は変わらないけど、真っ直ぐ延びる道を高くから見下ろすので、少し視界が開ける。
「空、星出てるよ」
「えっ、あ!ほんとだー!綺麗に見えるねえ」
「寒いからな」
人工の光のない大自然に比べたら、ほんの一握りの星だけしか見えていないだろう。それでも、他の季節に見る夜空よりは美しいように感じた。これだけで、十分幸せな気分になれる。
「何か星座わかる?あの星とか、明るいよね」
「リン、食べ終わったならそれもらうよ」
夜空に延ばした手から、レンがこんにゃくの串を抜き取っていった。そういえばレンの串はどうしたんだろう。そう思っていたら、レンは右手に下がったコンビニ袋へ私の串を入れた。レンの串もたぶんその中だ。あれ。私はいつ袋を渡したんだっけ。コンビニを出た時は私が持っていたはずなのに、いつの間に。
「で、どの星?」
「え。えーと、あれ」
改めて、星を指差す。レンが私の指先を辿って、顔をしかめた。
「どれだよ」
「えー、わかんない?あれだって。明るいの」
「どれ」
急に耳元で声が聞こえて、思わず身が竦む。肩ごしの至近距離に、レンの綺麗な横顔があった。ほんと、女顔。睫毛なんか、私より長いかもしれない。同じ顔と称される私たちだけど、絶対レンの方が美人だと思う。
「……月のこと言ってる?」
「ちっがーう!月と星を間違うわけないでしょ!」
「や、リンならありそうな気が」
「なにをー!」
つつきあってふざけるこの近さが、今日は妙にこそばゆい。いつもと違う帰り道に、酔っているのかもしれない。静かで暗い夜の街は、まるでここに二人だけで取り残されたみたいだけれど、寂しくないのはレンがいるからだろう。
コートから剥き出しに覗く男の子の左手に、自分の右手を絡めてみる。手を繋ぐなんて、久しぶりだった。レンは驚いたのか、一瞬手を引きかけたけど、ちょっと乱暴に握り返してくれた。今になって、ホッとする。これで拒否されたら、かなりショックだ。
来月になって、このあたりの電飾が灯りだしたら、レンにまた迎えに来てもらおうか。これ、すごく良い思いつきかもしれない。絡めた指をぎゅっとすると、さらに強く握り返された。