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日が少し傾いた頃、道の様子が急に変わった。でこぼこの土の道が唐突に終わって、代わりに飴色の石畳が真っ直ぐに延びているのだ。格段に歩きやすくなった道をしばらく行くと、別の方向からの道と交わって、道幅が広くなる。それを何度か繰り返して、大きな街道に出た。
街道の幅は馬車が五、六台並んでもまだ余りあるほどで、石畳はそれまでより複雑な模様を描いている。道の両脇には剪定された樹が行儀よく並び、遠く先に巨大な門が聳えているのが見えた。大門の両側に長く続く背の高い壁を、西日がオレンジに染めている。見る角度を変えるたびに、何かが反射してちらちらと眩しい。手を翳して光を遮りながら、リンはレンが広げた地図をのぞきこんだ。
「あの高い壁の向こうが次の街?」
「だな。向こうというか、街全体をぐるっと壁で囲ってあるんだ」
「なんてとこだっけ」
「スタイン・ウェ」
地図をしまって、街道の端を歩き出す。道行く人影はまばらだが、馬車は多かった。乗り合い馬車らしき大きなものから、どこかの令嬢用であろう瀟灑な作りのものまで、ごとごとからからと音を立てて行き交っている。
「すたいんうぇ……。あー、聞いたことある気がする。有名?」
「確かすげー綺麗な街なんだよ。んで、金持ちが多い」
「だから馬車が多いのかなぁ」
「たぶんな。良いご身分なことで」
目標物の見える道のりは短いものだ。程なくして大門に辿り着いた。近くで見ると、水の流れを象った美しい模様が彫ってあり、所々にキラキラ光る破片がはめこまれているのが分かる。先ほど反射していたのはこれだろう。門の前には馬車がぎっしりと連なり、行列になっていた。検問待ちだ。
「歩行者用の列とかないのかな?ちょっと見てくるから並んでて!」
そう言い捨てて、リンがぱっと駆けていく。馬車ばかりの列に一人で混じるのが何となく気まずい。後ろの馬に蹴られないように気を付けながら、レンは周りを見回した。列の前方にも徒歩の者がちらほら混じっているから、たぶん歩行者用の列はないのだろう。そう思っていると、萎れた白リボンが帰ってきた。
「無いって」
「だろうな」
「えぇ?知ってたの?」
薄青がじとりと半眼になった。引き留める前に消えたのはそちらではないか。
「前の方に人が並んでんじゃん」
「そうだけどさ、もしあったら悔しいでしょ」
念のために、ということらしい。確かにこれはかなり待たされそうだ。馬車の内部や荷台の品物まで検めているのだろうか、先程から遅々として進まない。もし歩行者用があるならそちらが良かった。無いのだから仕方ないが。
薄闇に物の輪郭がぼやけるくらい日が落ちた頃、列もようやっと進んだ。もうそろそろ壁内に入れそうだ。
「今日はスタインに泊まるんだよね?」
「そうなるな。てか、スタイン・ウェな」
「わかってるって。省略だもん」
「まぁ確かに、舌咬みそうな名前だよな」
前に並ぶ馬車に下がったランプが、お互いの顔を照らしている。リンの目が悪戯っぽく笑った。
「それはレンが滑舌悪いからじゃない?」
「んだとコラ」
「続けて10回言える?」
「お前こそどうなんだよ」
挑発的に言ってやると、少女はむっと唇を尖らせた。軽く睨みあって、同時に息を吸う。勢いそのままに『スタインウェ』の羅列を合唱しかけ――3回目に揃って舌を噛んだ。
「むぐぅ」
「……俺たちには無理だって」
「ミクちゃんならできるんだろうなぁ……」
「そりゃまぁ……格が違う感じだもんな」
ふう、と今度は溜め息が揃う。
二人の知人であるオヒメサマは、儚げな見かけに似合わずかなりの豪腕だ。リンとレンが二代目として存在できるのは、一代目である彼女の名声あってこそだった。当然、滑舌もかなりのものである。彼女に勝とうと思うなら、自分達はあとどれだけ修行を積めば良いのだろう。
それでもレンは、自分の力に自信がないわけではなかったし、それはリンも同じだと知っている。立場上どうしても身動きのとり辛いミクには出来ないことを、二人でやってやろうという気概があった。
大門を抜けたすぐそこには、広場の代わりのように小さな湖があった。それに沿って大通りが左右にぐるりと続き、同じように街も連なっている。湖を囲む街灯や建物の窓の灯が水面に反射して、壁外の闇夜よりも大分明るく感じた。
建物はどれも、館とか屋敷とかいった表現が似合いそうだ。噴水やプールのある庭、ポーチまで続くランプの並んだ私道、複雑な彫刻が施された門柱。ガラスがふんだんに使われたエントランスに控えているドアマン。バルコニーを持つ大きな窓にかかる、ドレープをたっぷりとったカーテン。おとぎ話に出てきそうな小洒落た出窓の内側には、陶器の天使が置かれているのが見えた。
耳に優しい水音は湖から引いた水路からで、蛇行しながら街全体を一周しているらしい。至る所でアーチ型の橋に出くわした。石畳の道は滑らかに延び、塵ひとつ落ちていない。大陸の要であるクリプタニアにも、これほど整備された美しい街はないのではないか。
そんなこの世らしからぬ街並みを歩き始めて、かれこれ一時間になる。豪華な屋敷を見て回っているわけではない。むしろその逆だった。
「……泊まれそうなとこ、ないな」
財布事情に見合う宿が、一向に見つからないのである。折しも霧雨が降り始め、初夏とはいえ肌寒く感じてきたところだった。だんっ、とリンが足を鳴らした。
「ああもうっ、埓あかない!ちょっとそこの人!!」
二人の目の前を通りすぎようとしていた令嬢がびくっと体を震わせた。彼女に傘を差しかけていたお付きの者が、咎めるような視線を向ける。
「この街でいっちばん安い宿ってどこですか?!」
直接的な物言いに、レンは冷や汗をかいた。令嬢が御免なさいと口ごもって、逃げるように歩き去る。知らなかったのか、脅えたのか。リンは頓着せず、通りかかる人間を捕まえては訊ね始めた。他人の振りをしたかったが、夜の街中で隣を離れるわけにもいかない。といってもこの街では、旅埃に汚れた自分達の方が、明らかに異分子だった。
「お二人様ですね。ツインで500000エソ、ダブルで400000エソ、シングルですと二部屋で700000エソでございます。いかがなさいますか?」
「げ」
「ダ、ダブルで!」
「おいっ」
シルクハットの紳士に教えてもらった宿は、確かに奥まった場所にあり、門構えも小さめだった。とはいっても、レン達が見知った宿の数倍はある。入るなりベルボーイに荷物を奪われた二人は、完全に腰が引けていた。
カルチャーショックから覚めるのはリンの方が早かったらしい。ポシェットから財布を取り出す手をふと止め、リンはキッと相手を睨んだ。嫌な予感しかしない。
「あの、やっぱシングル一つに二人で泊まりたいんですけど」
「!?」
「は……、いえ、申し訳ございませんが……」
「そこを何とか、」
「ばかっ、だめに決まってんだろ!?すんませんダブルでいいっす!」
レンは急いで己の財布から紙幣を抜き出すと、銀に光るキャッシュトレイの上に叩きつけた。
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お決まりの展開。
後編はもう少し短い。
エアアニメの素敵な某曲はこちら。 www.nicovideo.jp/watch/sm3889892
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