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案内された部屋には、二人の薄汚い荷物がすでに届けられていた。一つしかない大きなベッドは天蓋付きで、レンは眩暈を覚えた。リンがきゃっきゃとはしゃいで、ベッドにどしんと腰掛ける。
「ふっかふかだぁ!ミクちゃんのお城に泊まった時みたいだね!」
「……リン」
「あ、部屋代の半分は私が払うよ?」
「当たり前だ。ちがくて、その……」
うきゃーと変な声をあげながら、リンはベッドに寝転んだ。そのままの体勢でレンを見上げると、自分の隣をぽんぽんと叩く。
「ほらレン、んなとこ突っ立ってないで、こっち」
「……」
「レーンー?」
「……あのさ、一応聞くけど、シングルとれたらどうするつもりだったんだ?」
「どうって?」
リンには近づかず、化粧台の椅子を引いて座る。レンが来ないと見てとって、リンはごろごろとベッドを堪能し始めた。それでも返事はかえすので、とりあえず話は聞いているらしい。
「俺だけ床で寝ろと?」
「まさか。ちゃんと二人でベッドに……あれ、レンって寝相悪いっけ?」
「悪くない」
「じゃあ大丈夫でしょ。あーもう、レンが止めなかったら絶対シングルで押し切ったのになー」
とんでもない。レンの財布の中身がもう少し裕福だったら、何が何でもツインを頼んだのだが。ダブルでも、床で寝てやろうか迷っているというのに。リンの態度にだんだん腹が立ってきた。
「だいたいレンはねぇ、小心者すぎるんだよ」
「は?」
「押しが足りない!こういうの何て言うんだっけ。あ、甲斐性なしか」
「何だと」
「あ、図星ぃ?やだなもーカリカリしちゃって、男のくせに」
がたん、と椅子が音を立てた。枕に頬ずりをしていたリンがこちらを向いて、はっと目を見開く。
先程の霧雨で濡れた髪はお互い生乾き程度になっていたが、彼女のそれは枕に擦れて乱れていた。転げ回ったせいもあるだろう、ヘアピンがいくつか外れているし、頭のリボンもくしゃくしゃだ。
「レン?怒った?」
慌てて起き上った衝撃でへにゃりとリボンがずり下がり、リンの片目を隠す。絹糸のような金は、もつれて頬に散っていた。そのうちの一筋が、薄い唇にかかっている。
一歩近づくと、リンは少し後退って、枕をぎゅっと抱きしめた。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃん!」
叫んだ拍子に、リボンがぱさりと落ちる。自分と同じ薄青に微かな怯えが走ったのを見た瞬間――レンは息を大きく吐き出していた。
残念ながら、自分はやはり小心者らしい。
「レン?ねえどうしたの?機嫌悪い?」
「……別に。部屋が豪華すぎて落ち着かないだけ」
ミクの城に何度も世話になっている身としては今更であるが、これも少しは本音だった。リンにも共感するところがあったらしい。レンの言葉で簡単に納得し、顔が晴れた。
「仕方ないじゃん、ここが一番安いって言うんだし」
「野宿でいいだろ」
「嫌だよーせっかく街にいるのに」
お風呂にも入りたいし、というリンの言葉にレンはまた眉を顰めてしまった。この手の宿なら、大浴場などという俗なものはないだろう。部屋に大きなバスルームがついているに違いなかった。新たな関門である。
レンの顔を見て、リンが早口で言い添えた。
「ほらそれに、野宿しようにも、この街じゃ浮浪者としてつまみ出されそうじゃない?」
「まあ、確かに」
「ね?お金はちょっと勿体なかったけど、次からはミクちゃんに紹介状でも書いてもらおうね」
「そうだな」
宥める口調のリンは、自分が何を宥めているのか分かっていないはずだ。ベッドから立ち上がってリンはレンの手を引いた。
「さ、シャワー浴びてきなよ。レンのが濡れてるでしょ?お先どーぞ」
リンにマントを貸したので、確かにマント一枚分レンの方が濡れていた。けれどリンの袖もかなり湿っているようだし、手も冷えている。
「いや、リンだって……」
「あれ?」
手をつないだまま入口脇のドアを開けたリンが首を傾げた。後ろから覗くと、そこは広いトイレだった。しかし、バスルームではない。レンもそこがバスルームだと思っていたので、意外だった。
「こっちか?」
念のため、反対側の狭い引き戸を開けるが、そこは予想に違わずクローゼットだった。とりあえずリンがベッドに放り出していた二人分の夏マントを持ってきて、ハンガーに掛けておく。
「わぁぁっ!!レン、見て見てこれすごい!!!」
振り返ると、リンがいつの間にか窓際に移動して、カーテンを捲っていた。否、窓だと思っていたカーテンの先は、窓ではなかった。
確かに豪勢な宿にしては、薄そうなカーテンだと思っていたのだ。クリーム色のカーテンが覆っていたのは、ガラス張りのバスルームだった。
猫脚のついた丸く大きなバスタブと、植物を模したラックにかかるシャワーヘッド。壁と床は紺色の釉薬が塗られたタイルだ。正面の壁には今度こそ窓がついていて、雨にけぶる街灯の照らす夜が、額縁ほどの大きさに切り取られている。
そして、そのバスルームと部屋を仕切っているのが、ガラスの壁とガラスのドアであった。細い金の格子に透明なガラスがはめ込まれ、クリーム色のカーテンさえ開けば、はっきりとバスルームの全貌が見渡せる。ご丁寧に、バスルームへ続くドアも、同様の作りだった。ガラスでないのは、ドア枠とドアノブだけだ。
なにがどうして、貴重なガラスをこんな所にこれでもかと使わなければならないのだろう。大店のショーウィンドウでもあるまいし、金持ちの思いつきは図抜けている。これも贅沢の一環なのかもしれない。しかもカーテンはバスルームの外側だ。何処まで神経を削れば気が済むのか、呆れてもはや言葉もない。
「やっぱ400000エソの価値はあるね!!ツインの部屋はもっとすごいのかなぁ」
ダブルだからだと思う、とは言わなかった。こんなふざけた趣向を正しく理解した上で、それでも喜ぶ奴らの気が知れ…なくはないのが悲しいところだ。
「あの……リン、俺、入っていい?」
「え?う、うん、いいよ」
早く入ってみたいと顔に書いてあるが、自分からお先にと勧めた手前、言い出しにくいらしい。申し訳ないが、遠慮してやる余裕はない。レンに残された道は一つだった。さっさとシャワーを浴びて、リンがゆっくり風呂に入っているうちに寝てしまおう。それがいい。もちろんカーテンはきっちり閉めて、寝る時は背を向けるつもりだ。背中側は窓だと思うことにする。
「ありがと。風邪ひくから、リンも乾いた服に着替えておけよ」
そうと決めてからの行動は我ながら早かった。カーテンを閉じ、寝巻やタオルはバスルームに持ち込む。何しろ広いので、上手くシャワーを使えば布類が濡れることもなかった。ものの10分で湯浴みを終え、部屋に戻ったレンは絶句した。
着替えの途中で力尽きたらしいリンが、ベッドのど真ん中で幸せそうに寝息を立てていた。
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書きたかったのは前編と言っても誰も信じてくれなさそうだ。
後編がありがちな展開なのは、私の趣味と酔った勢いです。
エアアニメの素敵な某曲はこちら。
www.nicovideo.jp/watch/sm3889892
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