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油性マジック独特の臭いが鼻につく。きゅーっと音をたてながら模造紙に線を引いていくと、その先にぱたりと手が置かれた。顔をあげると、ミクオが机に両手をついて項垂れている。大きく溜め息なぞついて、かなり疲弊しているようだ。
「ん?どうしたんだい?」
「グミちゃん…ちょっと愚痴らせて」
「なになに?なんでも聞くよー」
「……あれを見てくれ」
ミクオは肩越しに、教室の窓側後方を指差した。一番奥の机の固まり、ミクオの班である。廊下側前方のグミ達の班とは、対角線上だ。目を向けて、グミは納得した。
「ありゃー。他のメンバーは?」
「今日1人休み。あとの2人は委員で先生に呼ばれてる」
「あはは、どんまい!」
「まじ勘弁…」
ついにしゃがみこんだミクオの向こう、教室最奥のグループ机に、仲良く金髪頭が並んでいる。1班は6人構成だ。ミクオの班の残り2人は、この教室では有名なダブル鏡音だった。
鏡音リンと鏡音レン。双子のようによく似た容姿をもつ二人の関係は、従兄弟だったか再従兄弟だったか。とにかく何がしかの血縁があるらしいのだが、まともに会話を交わしたのはこの学校に入ってからだと公言していた。つまり、知り合ってまだ一年も経っていない。しかし異常に仲が良かった。
登下校や教室移動、昼休み、放課後の校内など、二人一緒にいたとの目撃情報は跡を絶たない。付き合っているのではないか、という噂が流れたが、リンの女友達にもレンの男友達にも、そのような報告は未だなかった。
勇気あるクラスメイトが、鏡音リンに尋ねたこともある。付き合っているのか、という問いに彼女は、友達としては好きだけどそういう関係ではない、ときっぱり言い切ったという。
それでも、この教室にいる者は皆、彼女と彼は恋人同士であると認識していた。そうでなければ逆におかしい。
ふとした時の体の距離、交わされる視線、かけあう声の調子、そのどれもが、友人として許される境界線を微妙に越えている。あれだけ仲が良くて恋人でないという方が変だった。
「いや、仲がよろしいのは大変結構だと思うんだ」
「うん」
「ただね、どうにも。見せつけられてる気しかしないっていうか」
「うんうん」
「隠されると逆にこっちも気になるしさ」
「だよねー」
宣言通りぼそぼそと愚痴を溢し始めたミクオを、グミは哀れみをこめて見つめた。先生達も、もう少し考えて班分けしてくれれば良いものを。あの二人が同じ班に揃ってしまったら、他のメンバーには目の毒だ。
「なんていうかさー、見てて気持ち悪い」
いやこれはちょっと言い過ぎかな、とミクオが頭をふった。しかし、何となくわかる。
(グミもレン君に優しくされた時なんかは、そう思うしなー)
鏡音レンはもともと、人当たりが良い。しかも、この歳の男子には珍しく、レディファーストを心得ている。常なら勘違いする女子も多いのだろう。
しかしこのクラスの女子には、レンの紳士な態度もうわべだけのものにしか見えない。何故なら、彼が真に優しくしたい人物はただ一人だと承知しているからだ。
「リア充め。いい加減、交際宣言しろっての」
「リア充…や、君も一応リア充なんだよね?」
ミクオには恋人がいたはずだ。しかも確か、芸能人並みに可愛い。いつだったか写真を見せられたことがある。ちなみにプリクラではなく、スナップ写真が何枚もあった。持ち歩いているのだろうか。
愛しの彼女を思い出したはずのミクオの顔が、さらに暗く沈んだ。
「最近、会ってないんだ…」
「へ、へえ」
「忙しいらしくてさ…俺と歌とどっちが大事なんだろう…」
「えーと」
床にめりこみそうな落ち込みように何と声をかけたものか迷っていると、がらりとすぐ後ろのドアが開いた。振り向くと、ミクオの班の非リア充2人である。委員の用事が終わったらしい。
「あれ、ミクオ。こんなとこでさぼってんのか」
まだ影を貼りつけた顔で、ミクオは力なく笑った。
「あそこに一人でいろと?」
教室の奥を確認した2人は、納得したように頷きあう。
「そりゃ悪かったな。あれに一人で対抗するのはきつい」
「しかし残念ながら、俺らにはまだ班の作業が残っている」
うんうんと頷きながら、両側からがっちりとミクオの腕をとった。
「神威さん、こいつはひきとるよ」
「迷惑をかけたね」
「いえいえー。幸運を祈るよ」
学校の課題のためなら、いつまでも逃げているわけにはいかない。班での活動はしばらく続くのだ。教室の奥に戻る彼らを、グミは手を合わせて見送った。
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